日本語は死にかかっている

リンボウ先生が日本語の乱れ、醜さになげいて小言爺さんになっている。ただここで言う「美しい日本語」とはアナウンサーの読むような日本語ではない。多様性のある豊かな心の表れとして出る言葉ということだろう。
パターンにはまった紋切り型の言葉が流れ続けるテレビの影響、業界用語や仲間内だけで通用する隠語があふれる中で美しい日本語を取り戻すには幼児期の環境が大事だというのはその通りだろう。この時期に両親に加えて、おじいちゃん、おばあちゃんたちのいろいろな言葉に触れることが美しい言葉、醜い言葉を感じ分ける感性につながっていく。
スーパーなんかでひどい言葉を使っている親を見るとその子どもがかわいそうになってくる。