欲ばり過ぎるニッポンの教育

欲ばり過ぎるニッポンの教育 (講談社現代新書)

欲ばり過ぎるニッポンの教育 (講談社現代新書)

立て続けに苅谷剛彦氏の本を読んだ。この先生は本物の学者さんですね。問題の根本を突き詰めようとする分析がすばらしい。社会学も科学であることがよくわかる。一方、対談相手の増田ユリヤさんは完全に一般人代表となっている。わかりやすいと言えばわかりやすい構図の対談となっていて、今の教育問題に対する議論の問題点をはっきりと浮かび上がらせるという効果がある。ただ、この方も先生だと知ってかなりのショックを受けました。
第一章では日本の教育、特に幼児から小学校あたりの教育の問題点を議論してる。が、まったく議論になっていないのでこの本はボツになりかける。第一章のタイトルは「親の不安はどこからくるのか」。苅谷先生は不安の原因を突き止めて、それを解決しようとしうスタンス。一方の増田先生は不安に共感はできるが、なんとなく不安で止まっている。噛み合うわけがない。ただ、親がなんとなく不安になっていて、不安をかき消すために子どもの教育に一生懸命になっているらしいことは伝わってくる。だから総合の時間も小学校での英語の時間も、何か新しいことをやって不安を紛らわしてくれそうなので「賛成」となってしまうようだ。
第二章で二人のずれが最大化する。とにかく話が合わない。その噛み合わない対談の結果(?)苅谷先生がまとめた文章がとてもよく問題をまとめている。教育改革は社会を良くする魔法の杖として使われているのではないかと言う問題提起だ。そして魔法は存在しないんだから、きちんと地に足をつけた議論をしましょうと言う提言をしている。
じゃあ、最近注目のフィンランドの教育と比べてどうなんだと言うことで教育問題を取材して歩いている増田先生の出番です。そして一言目に「何も特別なことをしていなかった」と言う。が〜ん。
長くなるので一気にまとめると、教育の問題ではなく社会の問題だと言うことが見えてくる。PISAの結果にしても一位ではないがトップグループだというじゃないか。『教育と平等』を読んだときと同じ感想になる。義務教育はがんばっているようだ。高校進学から先の社会制度がうまくつながっていないことが問題のようだ。
フィンランドだけではなくヨーロッパの国々では社会の基準がしっかりとあり、そこから教育は何をするのかがはっきりとしている。一方の日本は基準はあいまいにしておき、なんでも教育に解決させようとしている(これが魔法の杖というわけ)。魔法に期待しても、現場は普通の人間がやっていることなので魔法への期待は裏切られる。そして教育現場に対する(根拠のない)不満が高まる。
この魔法に期待した姿勢がタイトルの「欲ばり過ぎるニッポンの教育」になっている。
みんなもっと落ち着いて、自信を持ってやっていきましょうよ。というのが感想だ。