教育と平等

教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか (中公新書)

教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか (中公新書)

日経の教育雑誌「ducare」でお勧めされていたので読んでみた。この本、新書なんだが中身は学術論文みたいでなかなか手強い本だった。データに基づき日本の教育の変化を分析しているのだ。それによって平等というものを観念的に語るのではなく科学的に議論できるのだ。
学力テストの結果が示すところによると現在の日本では地域による学力の差は非常に小さいのだそうだ。それは国と都道府県と市町村、そして各学校がうまく機能して平均化した学習システムを作り上げてきたという歴史によって実現したものだ。近年と1960年代の全国学力テストの結果を比較することで、それが明らかになる。残念なのはその途中のデータがないことだ。いつごろ、どのような施策によって格差が解消に向かったのかを知る術がないのだ。この事実について学力テスト反対論者に考えてもらいたい。
この本で教育に関する歴史を学んで分かったことは、日本の義務教育は非常に優れたシステムであるということ。そして、その平等な義務教育システムがその先の高校とうまくつながっていないことで生きていないこと。高校が学力別の階層化した世界なので平等な義務教育と矛盾なくつながらないのだと思った。この高校以上の階層化した現実を自由度の高いシステムに変えていかないと、単に高校無料化にお金を出しても成果が見えてこないんじゃないかと思ってしまう。
国学力テストにしても高校入試、大学入試にしても何らかのテストは必要なわけで、その結果を絶対視した判断材料として使うのではなく、将来に向けての分析ツールとして活用することでいろいろなことが救われるのではないだろうか。高校入試という競争にさらされた時に、一発のテストで決まってしまうのでなく、高校入学後にも複数の道があったり、転・編入できるような自由度の高い制度が作られることを期待したい。それが出来れば日本は復活できると思うし、この優れた義務教育システムを作れた教育行政であれば実現できるのではないだろうか。