社会全体で子どもを育てることには賛成だけど実現手法には反対

公立高校実質無料化について考える機会があったのでまとめておく。
まともな教育をして立派な社会人を育てるためにお金を使うことは大賛成だ。このことだけであればダム建設のように賛否分かれるということはないだろう。
問題はその実現方法。これはみんなそれぞれの立場に応じて、自分への直接的な影響の仕方によってさまざまな意見が出てくるのも当然でしょう。
実現が近そうな方法が「公立高校実質無料化」という方法。高校への補助を増やして家計からの支出をなしにしましょうということだと理解しています。
このやり方が問題だと思うのは学ぶつもりのない人にまで広く薄くお金をばら撒くことじゃないでしょうか。それどころか進学するつもりのなかった人まで「どうせタダなら、やることもないから学校に行くか」となって補助対象が拡大する可能性まである。

枝葉の末節の可能性ばかり指摘していては何も決められないので、そういう時は根っこにもどると民主党マニフェストにはその目的を次のように書いている。

【政策目的】
○家庭の状況にかかわらず、全ての意志
 ある高校生・大学生が安心して勉学に
 打ち込める社会をつくる。

そう、勉強したい人がお金の心配をしないで勉強に集中できるようにしましょうというのが趣旨。
翻って街にいる高校生を見ると... 勉強したいように見えない人が大勢いる。(私のメガネが色眼鏡で曇っているのかもしれないですが)

やっぱり広く薄くばら撒くのは目的に合致しないとしか思えない。

計画通りに高校にお金を渡すにしても、学校ごとに給付型奨学金として運用するなど勉強したい人の助けになるように使ってもらいたい。または、せっかく育英会があるんだから、彼らが債権回収使っている時間を給付型にすることで前向きに使えるようにするとかね。


考えをまとめるために思いをめぐらせていたら、子ども手当てについて街頭インタビューをしていたニュースを思い出した。
このインタビューに答えていた人が、子ども手当てを受け取るのと控除がなくなることを考慮してどちらが得なのかわからないといっていたのが非常に気になった。
「どちらが得か」というのは自分だけのことを考えているように見えた。子どもたちのこと第一に考えて、彼らが大人になったときにどのような社会にしたいのか、この国で育っている子どもたちに世界の中でどのように活躍してもらいたいのかを考えるようにしたら控除の削減と比べて「どっちが得か」なんて言わないと思うんだけどな。